とんがらし

f:id:Shimabanana:20160607093503j:plain:right:w250いつもの帰り道の草むらが、こつぜんと消えて駐車場になっていた。もうすぐ半夏生がみられる頃と楽しみにしていたのに。駅から近い便利な場所で数年のあいだ草むらだったことが奇跡なのだけれど、親友がいなくなったみたいだ。

水道橋にあるグローバル企業で人事の採用担当への取材。ダイバーシティが企業のお題目としてではなく、浸透していることがわかる内容でいい気分。

帰りに遅いお昼をと、グーグルマップで蕎麦屋を検索して、すぐ近くにある「とんがらし」に入ってみた。簡易椅子が7つある簡素な店は立ち食いの部類に入るのだろうか。立ち食いにしてはのんびりした流れ。ダントツ人気の「ミニ天丼」を注文する。自分の番になって驚いたのは、大将が注文ごとに天婦羅を揚げていること。その間に女将さんが天丼の器を湯煎してあっためてからご飯をよそり、「いいよ〜」という大将の言葉で近づいて天婦羅を盛りつける。小エビ5本、ナス3枚、シメジ2塊、大葉1枚がのっかって「ミニ天丼」430円。しかも若布の味噌汁付き。とてもミニじゃないです……。
あとから検索してみると、ミニ天丼は手間がかかるので14時半から15時45分の間だけ注文を受けるそう。ナス天をイカ天に変えることもできるみたい。だから注文の時「ナスでいい?」と聞かれたのだ。次の機会があれば、ひもかわうどんにも挑戦したい。
冗談好きの大将みたいで、厨房でのささやかに響く大将と女将さんのあったかなやりとりがを耳に届く。食べ終わったお客さんは、食器を種類ごとにきちんと仕訳して、ゴミもきちんと処分して、必ず、「ごちそうさま、おいしかった」と声をかけて店を出て行く。この店が存続していることにみんな感謝しているのだ。水道橋の文化遺産に勝手に認定。
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ヴィヴィアン・マイヤー

阿佐ヶ谷散歩から戻り、見逃してしまったドキュメンタリー映画『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』をDVDで観る。ヴィヴィアンが1950年から90年にかけてニューヨークやシカゴ、フランスで撮影した膨大な写真は、一気にその時代のその場所に引き戻す力があり、繰り返し見たくなる。ロバート・フランクダイアン・アーバスを思い出す写真もあるけれど、ものすごい才能。切り取った人物の人生まで写しとっているし、悲哀、闇、ユーモアだってある。シカゴの青年歴史家ジョン・マーロフが老女の遺品を数百ドルで買わなければネガもゴミとして捨てられ、世に出ることもなかったと思うとぞっとする。ヴィヴィアンの写真を知っただけで喜ばしいが、マーロフは彼女のルーツや素顔を追い求める。それはヘンリー・ダーガーの生涯を思い出させて切なくなる。ヴィヴィアンは乳母としてさまざまな家族と接してはいるけれど、変人で想像を絶する孤独に生きたということで二人は近い。孤独があれだけの創造を生んだという、孤独の力を思い知らされはするけれど、やりきれなくて、冷え冷えしてくる。
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録画してあった「トットてれび」も観る。今回はトットちゃんと向田邦子が一緒に過ごした時がどれだけ心地のいい、大事ななものだったのか。そのことが伝わってきた。でも35年前の夏の事故をふりかえるのはやっぱり辛すぎる。短い放送時間の中で向田さんにまつわるいろいろなことを匂わせて、脚本もさすが。

姉の愛犬が脊髄梗塞で歩けなくなったという。犬は時々、ソファや階段の影で泣いているという。姉や姪をなぐさめてくれるいい子なのに。どうしてこうなるんだろう。現実を受け入れるのはたいへん。詰まった血管とは違う血管が育つことがあるというお医者さまの言葉に望みをかける。

モハメド・アリが亡くなった。1990年代前半のニューヨーク、シェラトンホテルの前で車椅子のアリを見かけたことがある。行き交う人々が丁寧にアリに声をかけ、偉大なるチャンプに敬意を示していた。アメリカ人ってこういうところが偉いなー。

f:id:Shimabanana:20160605123957j:plain:right:w250そのアリの死も知らず、わたしは西荻一箱古本市トークショー 『なぜレインボーブックスは200回も一箱古本市に出店したのか?』で笑いまくっていた。寺山修司を思い出させるイントネーションのレインボーさんのやや暴走ぎみの語りに、関西弁一箱古本市芸人の散歩堂さんがおっとり切り込む。共におカタいビジネスマンであることが嘘のように、笑わせることが大好きなサービス精神の塊のお二人。いやはや面白い。それにしても古本と釣り銭を準備して、重たい本をかついで年30回以上も古本市に参加するレインボーさん、尊敬します。
トークショー後に少しだけ開催されたレインボーさんの201回目の古本市で、D・Hロレンス『虹』(昭和23年刊)をジャケ買い

夜は旧友と会い、四川料理のあと、ダイキリギムレット。さすがにおなかがびっくりしたようで夜中に胃痛。連日の食べ過ぎ飲み過ぎを身体が注意してくれたんだと気づいたけれど、まったく眠れない。
布団の中で思い出したのが、朝、NHK教育の「仏法を生きる」で大阪の歌人 西川和榮さんが言っていた、「思い通りにならないこと、うまくいかないことが仏様のお慈悲なん。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と唱える機会を与えてくだはってるんや。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏をただ唱えれば、何万個の毛穴から染み入り、五臓六腑が喜ぶ」ということ。胃薬を飲んだあとに、藁をもつかむ思いで唱えてみた。自分らしくない行いだけれど、いろんなことが、しかたないやと思えてきた。
一緒に住んでいたおばあちゃんも、何かにつけて「なんまんだ、なんまんだ」とつぶやいていた。わたしはそれが辛気くさくて嫌だったけど、おばあちゃんにも心配事や煩悩や思い通りにならないことがあったんだよなとわかっただけで、少しだけ気分が軽くなった。

X氏のお誕生会にかこつけて6名で集まり、飲んで、食べて、いっぱい会話をして、頭と心のストレッチ。
たがが外れるって、今まで悪い意味に受け止めていたけれど、縛りがない、とらわれない、自由なことでもあるんじゃないだろうか。
そんなことを考えた夜。
こころはころころ移ろうけれど、明日もあさっても、こんな気分でいけたらいい。

アラーキー降臨

f:id:Shimabanana:20160603104828j:plain:right:w250 家で仕事をしていても夕方からのイベントが気になる。17時過ぎに家を出て神保町ファインアーツで整理券を貰う。8番目だった。大竹昭子さんによるトークと朗読の夕べ、カタリココの本日のゲストはアラーキー。やっかいな病気や右目の失明を聞いていたので、どんな姿で登場するかやや心配だったけれど。開演30分前、「早すぎた?」と入り口から大きな声が聞こえてきた。振り返るとご本人。ライカを手にしている。以前と変わらずエネルギッシュでオシャレ。「早いよね、ちょっとひと回りしてくるわ」と明るく去りつつ、「今日は質問に応えればいいんでしょ」と主催者に語りかける。シャイだなぁ。
 再び登場は開演6分前。そのまま席についてトークもスタート。この人、せっかち。陽子夫人との新婚旅行を撮った「センチメンタルな旅」(1971)の復刊に寄せてということで、撮影時のことを中心に大竹さんは話をすすめる。ニコンFに21ミリレンズ1本だけつけて持っていったそうで、人物が不思議に歪んでいるのはそのため。当時、陽子夫人はモジリアーニが好きで、そのせいか、アラーキーが撮影した陽子夫人も何となくモジリアーニの女性風に写っている。「あたしはアラーキスリングでもよかったんだけれど、アラーキモジリアーニになったのはレンズのせい」
 インタビューの大竹さんの懐を借りるかたちで、アラーキーがしゃべり倒した90分。ダジャレを含めてさすがに言葉の人。心に響く言葉がいっぱい採集できた。
「無意識にまかせるほうがいい。無意識で写真を撮っているから、撮影した自分でも見るたびに新しいストーリーが生まれて、飽きないんだよね」
「個性にしがみつくのはよくないね、あたしの場合は私性。私ごとにすぎない」
「今日は空がよかったね。だからすっぽかそうと思ったんだけどさ」
「毎日が何かをさせるんだな。その時、その時に気づかされる。日記じゃなくて、時記。時の記録。いい時を写真でちょっと押さえるの」
「つまらない日は絶対にないから毎日写真を撮ることで発見がある。遠くに行く必要なんてない。ものすごい近場にすばらしいことはある」

 ──元気になったかな? さよなら!と思い切り明るくアラーキーは退場。わたしも無性に写真が撮りたくなる。
 
 神保町の文化遺産とも言うべき居酒屋「兵六」で鰯胡麻酢と餃子、ビールでアラーキーを振り返る。今朝もまだ兵六のカウンターの椅子の痛さが残っている。

 黒田泰蔵さんの富戸のアトリエへ。イギリスからのお客様を交えて三名で黒田さんを囲む。私以外は英語での会話。なんとか聞き取りはできても、英語がまったく口から出てこない。少しは聞き取れるのだから、英語に慣れる機会があれば片言でもしゃべれるようになるのかしらなんて考えながらももどかしい。
 黒田さんは、二十歳の頃からずっと、「永遠に存在する普通を創造する」ことに夢中になっているのだという。完璧に美しい白磁のシリンダー(円筒)をたった一つでいいからつくりたい……その一念で作陶を続けている。
 今熱中しているのは庭づくり。自然に近いランドスケープを自分でユンボを動かしてつくってしまう。聞くもの、見るもの、すべてが驚き。作品もライフスタイルもすべてが憧れ。
 黒田さんのようにできなくても、自分に今の百倍問いかけて問いかけて、自分にとって心地がいい空間で暮らせるようにしたい。
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 「トットてれび」、4回目がすごくよかった。篠山紀信がトットちゃんのヌード撮影をするエピソードが出てきた。紀信が撮影の時に、「内面に向かって。じっと覗き込んでごらん」とトットちゃんに語りかける。これだけがきっかけになったわけじゃないけれど、トットちゃんは「私って何なんだろう?」と変わりはじめてニューヨークへ旅立つ。
 この時(1968年)の写真集「篠山紀信と28人のおんなたち」が家にある。古本屋で見つけて買ったのが25年くらい前。黒柳徹子江波杏子美輪明宏らのヌードの珍しさと美しさに惹かれたのだけれど、まさか、紀信がそんなことを撮影時にトットちゃんに語りかけているとは夢にも思わなかった。別のテレビ番組で満島ひかりが、小学生だった沖縄アクターズスクール時代に紀信に写真を撮ってもらう機会があって、無理に笑顔をつくろうとしたら、「笑わなくていい、笑わないほうが君らしい」と紀信に言われて、その時に自分らしさを自覚したと話していた。なんだか紀信を見直す今日この頃。

ナオユキ

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    おけいネーネが珍しく強く勧めるのので、芸人ナオユキを見に御徒町の古民家ギャラリーしあん。おっと、散歩堂の旦那が開演ギリギリに登場。入り口でお財布忘れましたーと叫び、おけいネーネが飛んでいく。会場爆笑。
    ナオユキのぼやき漫談の大半は酔っ払いネタ。すごい才能でめちゃくちゃおもしろい。ウチのトウチャンの酔っ払いぶりを思い出す。おけいネーネは最初からけたたましく笑い続け、しばらくするとハンカチに顔を埋めている。可笑しさのあまり、涙まで止まらなかったそう。窒息するんじゃないかと心配したよ。それほどナオユキは可笑しく、客席の反応もオモロイ。
   後半のナオユキは和服に着替えて高座に上がり、まずは、ながーいマクラ。さらに「酒の粕」もマクラにして、「一人酒盛り」。間がいい。足がつったからと言い訳しつつのマーメイド座りもウケる。
   f:id:Shimabanana:20160601103718j:image会場には、六文銭'09のおけいさんこと四角佳子さん、イラストレーターのパンジャさんもいらして、打ち上げでゆっくりお話しする。おけいさんとは7年ぶり、パンジャさんとも3年ぶりくらいで、偶然の再会がほんとうにうれしい。ナオユキバッカスの酒縁だなぁ。